わたしの遺言

ひとりごと(nicoとの対話)

「大きめのひとりごと」。

ふと、これはわたしの遺言にもなり得ると思った。

わたしはもう長いこと「希死念慮」と共に生きている。この言葉を知ったのはすっかり大人になってからだった。この概念はわたしの「消えたい」気持ちを一旦、横に置くことができた。

原体験は5歳くらいのときだった。母親の鏡台(ドレッサー)の前で自分の顔を見つめていたら、だんだんと「わたしはここに居てはいけないんだ」と思えて、ここに居てはいけない子だから、おばあちゃんに意地悪されるんだ、お母さんにやさしくしてもらえないんだ、あの子にいじめられるんだ……そんな風に追い詰めることが癖になった。

生きにくさを感じたまま大人になり、二人の子どもを育てた。「太陽のような」母親にはなれなかった。

このブログを本腰を入れて始めるにあたり、段階的にひとつの目標を掲げた。それは半年で100記事というもの。

今年中に100記事。

毎日更新はできなくても、週に4回ならできる気がした。

「いつ死んでも構わないけど、まだ言い足りないことはあるんだよなぁ……」

そんな感覚で、気負わず書き遺してみようと思う。どこかにいる、もうひとりのわたしに話しかけるみたいな文章がいい。

日記を書く女性

そうだ。もう二度と会えない人に、出さない(出せない)手紙も書いてみよう。

きっとその人に届くことはないから。